和漢廿四孝(柳下亭種員撰・重宣画)・4 樵夫喜十郎
お嫁さんが姑を大切にしないので追い出したわけね。こども三人は
奥さんについていったんでしょうね。
『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689
樵夫喜十郎(きこりきじふらう)
備中国和気郡総江(さうこう)村の者なり 父は早く世を去
母につかへて孝心深く
其妻 母に仕ふることのおろそかなりとて
小児(こども)三人までありしを離別なして再びかへさず
日毎 山に入 柴を刈 是を代(しろ)なして いと貧しく母を養ふ
且て父が忌日にあたれば
柴を刈りとり 旦那寺の門に持ゆき ひそかにさし置てかへる
住僧それと悟り 一礼をいふに
我は知らじとぞ答へける かくすること毎度なり
其他 善根を尽くすこと国主にきこえ
多くの褒美をたまはりける
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親孝行も度を過ぎると家庭崩壊につながるという教訓・・・ではないのね。あくまで孝行息子にしかスポットは当てないのね。奥さんの言い分も聞いてみたいところ。