コツコツ古典

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和漢廿四孝(柳下亭種員撰・重宣画)・19 農民甚助

絵を見ると、奥さんに働かせて自分はのほほんと過ごすダメ夫の話かと思いましたが、文を読んだら全然違いました。怠け者のお兄さんたち二人と違い、働き者で親孝行、夫婦仲も円満でご褒美貰った人でした。甚助の後ろの家の中には母親の姿。お母さんは実直な三男の甚助さんちで暮らしているわけですね。甚助さんは岡山県浅口市の人だそうです。

『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689

農民甚助(のうみんぢんすけ)

備中国浅口郡柴木村の産 
兄弟三人ありて 甚助は末子也 
父没する時 三人に田地をわかち与へしが 
二人の兄は耕作に怠り 不作のみ打つづくゆゑ
甚助に田地を取かへよといふに 
聊(いささか)もいなまず 申むねに任せぬ 
かくすれども 只我田地のみ ますます実入よく 
一郷洪水のために田畑を流すに 
甚助が田地は うれひなかりけり 
其婦(つま)も又夫とともに母につかへて孝心あつく
国司よりおほくの褒美をたまはりぬ

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ちょっとお話がよくわからなかったので、別の本も見てみました。

『和国二十四孝絵抄』(東京学芸大学附属図書館所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100409587

百姓甚助

備中の国浅口郡柴木村の百性子三人に田地三ツに分てゆづりしに
兄二人は耕作におこたりがち
年々みしん(未進・・・年貢を納めないこと)せしかど
弟甚助は正直に出精せしゆへ みしんの事もなく母もこれが方に
心よくやしなひ嫁が孝行なること又たぐひなく
あるとき二人の兄かいはく 親ながら依怙あり
汝にはよき田地をゆづり 我々にはあしき所をあたへしゆへ
とかくみしんがちなり よりて汝が田地ととりかへんとあれば
甚助はいぎなくとりかへつかはし恨むることもなく
あれし田地をたんせいして作りければ
すこしもみしんのうれいなく
兄はまたまたみしんつのり とがめにぞあひける
此こと甚助なげきて つくのひければ 庄やもふびんにおもひ
兄どもをゆるしける
そののち秋なが雨して洪水あり
田地あまたながれ村々なげくところに 甚助が田地はすこしも
いたむことなく いつもより出来よかりければ
代官これただ事にあらずと国司へ申上ければ
さつそく甚助をめされける
その夜夜甚助がゆめに出家四五人 月をおがみゐるうしろに
はかまの人あまたにて きやうおふのていに見へしが
よくてう岡山よりよびだしにあひ
出行けるが ゆめのとほりにすこしもたがはず
国司にはただいま孝心のものよびいだすなり
客僧たちも見給へとてかの甚助をめしいだし孝ていをつくせしこと
御しようびの上御ほうびとして田地あまたたまはりしとぞ

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(あらすじ)甚助さんは三兄弟の末の弟です。死んだ父親の田地を兄弟三人で分けました。怠け者のお兄さんたちは農作業を怠けて年貢を未納して、あげく弟に「母親がエコひいきしてお前に良い土地を分けたから俺たちは不作になった。お前の土地と俺たちの土地を交換しろ」と因縁をつけて、田地を交換しました。その後も弟の甚助さんは真面目に耕作したのできちんと年貢を納めることができましたが、兄さんたちはやっぱり怠けたのでまたまた年貢を払えずにお咎めを受けました。それも甚助さんが償おうとしましたが、庄屋さんが不憫に思ってお兄さんたちを許してくれました。その後、秋の長雨で洪水が起きても甚助さんの田畑は無事、かえって例年より豊作でした。これがお代官さんの耳に入りました。その頃甚助さんは夢を見ました。お坊さん4~5人と袴姿の大勢の人たちに囲まれて饗応を受ける夢です。まさにその夢の通り、国司から呼び出されご褒美をたくさん貰いました。