コツコツ古典

間違いがあったらコメント下さい。

絵本和漢誉・24 甘糟近江守

甘糟景持(あまかす かげもち)、上杉四天王の一人。

「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

甘糟近江守(あまがす あふみのかみ)

北越の猛将 甘糟近江守
川中島退口(のきくち)勇戦

ーーー

甲陽軍鑑」から。みんなが誉める、謙信秘蔵の侍大将、甘糟近江守。

甲陽軍鑑19巻 [5] 国立国会図書館デジタルコレクションより

甘糟近江守 近国他国にほめざる者はなし
謙信秘蔵の侍大将の甘糟近江守は頭(かしら)也

ーーー

絵本和漢誉・23 三好修理大夫

矢を全身に浴びながらも、敵の脳天貫いてますね。

「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

三好修理の大夫政保(みよししゆりのたいふまさやす)

室町の舘に討死す

ーーー

「政保」ではなく「政康」と表記される人でしょうか?もしそうなら三好三人衆三好長逸岩成友通三好政康)のメンバー。出家後の名は釣竿斎宗渭(ちょうかんさいそうい)。この絵では討死となっていますが、死因はよくわからないようです。

 

一方「三好修理大夫」で検索すると「長慶(ながよし)」と出てきます。死因は病死。北斎の描いた「三好修理の大夫政保」さんは誰だったんだろう。

絵本和漢誉・22 赤髪鬼劉唐、智多星呉用、 雙翅虎雷横

わーい、一人も知らない。水滸伝に登場する人たちなんですね。

「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

赤髪鬼劉唐(せきはつき りうとう)、智多星呉用(ちたせい ごよう)、
雙翅虎雷横(そうしこ らいわう)

ーーー

国芳の描いた赤髪鬼劉唐。こんな人に近寄りたくないわ。

Sekibakki Ryuto 赤髪鬼劉唐通俗水滸傳濠傑百八人之内)歌川国芳 The British Museum所蔵

智多星呉用は右上の人。

↓  雙翅虎雷横は右側中段の黄色い服の人。

一勇斎国芳水滸伝豪傑百八人早稲田大学図書館古典籍総合データベースより

絵本和漢誉・21 新田義貞

おじさん顔の竜神に刀を捧げて祈る新田義貞

「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

新田義貞(につたさちうぜう みなもとのよしさだ)
新田左中将 源の義貞 竜神に祈て稲村が崎を干潟となす

ーーー

手と顔だけ出してたら普通のおじさんよね。

ーーー

先月参拝した伊豆の大瀬神社の脇障子は新田義貞でした。

海が割れるのよ~道ができるのよ~

↓こちらは群馬県太田市の新田荘歴史資料館の新田義貞の像。台座に波がちょこっと彫られてます。

絵本和漢誉・20 平高時

眠る高時さんのまわりを天狗が飛んでます。悪い夢見てそうですね。

「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

相模入道 平の高時(さがみにうどうたいらのたかとき)
驕奢天狗障化をなす

ーーー

驕り高ぶった高時の心に魔物が入りこみ、天狗が田楽法師の姿になって、高時を最初は楽しませ、やがて高時が疲れて倒れるまで踊らせます。高時は倒れて起き上がるたびに天狗に突き倒され、よろよろになっていきます。

「北条九代名家功」『黙阿弥脚本集』第12巻 国立国会図書館デジタルコレクションより

 

「田楽法師」というのは少し前のページの会話に出てきました。

「田楽と申しますのは、神楽催馬楽などと違ひ、只一本の竹に乗り、
品玉を遣うたり、又は高き足駄を履き、剣を抜いて舞をまひ、
綾竹などを面白う扱ふ業をいたしますが、」

 

↓こちらは北斎の描いた田楽法師。品玉というのは上段右の人のように玉や刀をお手玉のように操る芸のことだそうです。

葛飾北斎 北斎漫画8 国立国会図書館デジタルコレクションより

 

高時さんは酒宴に田楽法師を呼んでいたところ、天狗が田楽法師に化けてやってきて、高時を翻弄した挙句、虚空に高らかな笑い声を残して去っていきました。

絵本和漢誉・19 伍子胥

また妙な人が出てきました。重そうな道具を掲げながら何やら字を書いています。

「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

伍子胥(ごししよ)
重さ千斤の鼎を揚て文を作りみづから書す

ーーー

重い鼎を持ち上げながら、書きものをする。文武両道を絵で表すとこうなるんですね。

 

小栗と伍子胥、宴会芸対決?

 

絵本和漢誉・18 工藤左近吉隆

日蓮上人の四大法難の一つ、「小松原の法難」。日蓮上人の一行は日蓮を恨む東条景信の一団に襲われました。日蓮は負傷しながらも一命を取り留めましたが、日蓮を守るため必死に戦った天津の領主・工藤吉隆は命を落としました。

「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

工藤左近(くどうさこん)
宗祖 日蓮大士の危難を助て討死す

ーーー

千葉県鴨川市、小松原法難の地には鏡忍寺が建てられました。