コツコツ古典

間違いがあったらコメント下さい。

絵本和漢誉・30 鎌田又八 (完)

ラストは鎌田又八さん。知らない人だった。

「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

鎌田又八(かまたまたはち)
鎌田又八がちから 

画本和漢誉

豆相の旅客前北斎
画狂老人卍筆
時七十六歳

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怪力で有名な人なんですね。こちらは国芳の作品。大きな甕?を軽々と担いでいます。箒や鋸も身に着けて。

「程芳流行大津絵」「鎌田又八」

引っこし荷 はこぶ 袷の弁慶も 七つ道具の かまた又八   梅屋

「袷(あわせ)の弁慶」というのは「弁慶格子柄の袷の着物」のことのようです。弁慶格子はギンガムチェックのような格子柄で、微妙に縦縞の方が幅が狭いそうです。

 

ーーー 絵本和漢誉 終 ーーー

絵本和漢誉・29 宮本武蔵

久しぶりにメジャーな人たちが出てきてくれました。宮本武蔵VS佐々木小次郎

「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

宮本武蔵(みやもとむさし)
武術を諍ひ つゐに武蔵に討るる
佐々木巌柳

猛烈の人物を画んには かならす風流雅画の心を捨べし
勢ひなくして木偶に等し

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雅な心で猛者を描こうとするな、ということですね。

絵本和漢誉・28 齋萬年

変な生き物を捕まえている男の人。

「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

萬年(せいばんねん)
象?(かたち?)馬に似て 角髪なかく 全身火の烘る(あぶる?)がことし
齊萬年 怪じうを牽帰る

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齊萬年が怪獣を倒して持ち帰った、という話はよくわかりませんでした。「齊萬年鎖川打虎 (齊万年が鎖川に虎を打つ)」、虎を倒して肩に乗せて戻ってきた、という話は続三国志の中にありましたが。

絵本和漢誉・27 鄭芝龍

波の向こうを狙って銃を構える中国人。狙う「海魔」の姿は海上に果てしなく続く鱗模様だけ。

「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

鄭芝龍(てい しりう)

蓮華洋に海魔を刧(おびやか)す

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虎退治で有名な和藤内。そのモデルになったのは鄭成功。成功のお父さんが鄭芝龍。

絵本和漢誉・26 山中鹿之助

山中鹿之助さん!誰⁉

「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵  クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

山中鹿之助(やまなかしかのすけ)
山中鹿之助幸盛忿戦
酔中に筆下す

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尼子氏の家臣で、山陰の麒麟児と呼ばれた豪傑。

・・・ここで気になる右隅の「酔中に筆下す」の添え書き。

ああ、北斎はお酒飲みながら描いたのね、ちょっと不満の残る出来だったのかな?酔って描いたなら仕方ないわね。この絵のどこが不満だったのかしら。

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この「酔って描いたんだもん。なんかおかしくても大目に見てね」的な添え書きに関して、飯島虚心(1841~1901)という人が「葛飾北斎伝 下巻(1893)」で書いたものがとても面白かったです。

飯島さんは北斎が高収入だったにも関わらず、住まいも衣服もいたって質素な暮らしの中で一生を終えたことから、きっと北斎は相当な酒豪だったのだろうと思っていました。画料はみんなお酒に変わっちゃったのに違いないと。実際そういう文人は多かったので。

そこで虚心は確認のため周囲の知人に北斎が大酒飲みだったか聞くと、
みんな口を揃えて「彼は下戸だよ」「お菓子が好きなんだよ」と言います。
虚心はさらに手あたり次第北斎のことをよく知っているひとたちに
聞いてまわるも、全員「北斎は下戸」と断言。

北斎は酒を飲む」説もあったけれど、虚心が調べたら事実無根なことが判明しました。けれども北斎が挿絵を描いた「水滸伝」の中に「酔中筆」の添えられたものがあったりして、どうも飲むのか飲まないのかはっきりしません。

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そんな時に浅草で浮世絵会が開かれました。百点あまりの錦絵が並んだ中に、
北斎が遊女を描いた絵があり、そこに「北斎酔中筆」の文字が。

その席に、以前「北斎は下戸」と言った知人の一人、清水晴風さんがいました。
虚心は彼に向かい、「この絵に酔中筆って書いてある。北斎が酒を飲まないならこんなの書くわけないだろう」
清水「そうじゃないよ」
虚心「じゃあ飲まなかったという証拠を出せ」
清水「証拠は出せないけど北斎は飲まなかったのっ」
こんな不毛な口論をしてたんでしょうね。

そこへ浮世絵師の落合芳幾(おちあいよしいく)さんが間に入ってくれました。
落合さんは北斎が酒を飲まなかったことをよくご存じでした。
そして「酔中筆」と書いてあるのは上手く描けなかったことへの「遁辞」(言い逃れ、
逃げ口上)だよ、絵描きが時々やる洒落なんだよ、と説明してくれました。

ここで落合さんは「絵本武蔵鐙」での一枚の絵を引き合いに出します。
その絵がこちら。

「画本武蔵鐙」より 国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

右下に

「酔中筆して曰 紙中の尺寸限りありて形自在ならず
 馬上と歩立の風情は横に広からんものを立て(縦)にす
 余は押してしるべし」との添え書き。

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以下に落合さんの説明を抜粋します。

”謙信のきりこみたる太刀を、信玄左手に軍配を持ち、逆にうけとむるのさま
甚だ拙し、しかして信玄の右手は、一刀を引き抜かんありさまなれど、
これまた甚だ拙し、北斎も自拙しとおもひれば、此に副書して
「酔中筆して曰く、 紙中尺寸限あり、形自在ならず、
 馬上と歩行との風情は、横に広からんものを立にす、餘は押してしるべし」と、
これすなわち酔中の字をかりて、拙を覆ひたるものなり、実に酔中とか言はざれば
人に示されぬ画なり、・・・”

「酔ってました」と言わなければ人に見せられない絵です、とズバッと言ってます。浮世絵会に並んでた遊女の絵(北斎酔中筆との添書き有)に関しても「所有者がいることろで言いにくいけれど、実にまずい絵です」ときっぱり。

落合さんはもと浮世絵師。その道の達人による「北斎は下戸」との証言に、虚心も納得し、傍で聞いてた清水さんもなんとなく嬉しそうだったそうです。

 

しかしさらなる証拠集め(なぜそこまで)を進めていた虚心ですが、以外にも手元にあった「北斎漫画 第11篇」の序文で柳亭種彦さんが北斎のことを「酒を嗜す 茶を好す 五十年来画三昧」と紹介していました。

北斎漫画11篇 国立国会図書館デジタルコレクションより

北斎は酒を嗜まず、茶を好まず、絵を描き続けて五十年。北斎と非常に親交の深かった種彦の言葉に、ようやく得心した虚心でした。

 

北斎はお酒飲まない、高級なお茶も飲まない、煙草の煙も嫌い、蚊取り線香も嫌い、大福餅は大好き、金銭感覚ゼロ・・・などいろんなエピソードも書かれていました。

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ということで、すっかり話が逸れましたが山中鹿之助の絵は北斎としては納得いくものではなかったんでしょうね。

絵本和漢誉・25 鬼児嶋彌太郎と西法院赤坊主

ごつい男性二人が鐘付き棒を取り合っています。

「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

鬼児嶋彌太郎(おにこじまやたろう)と

西法院赤坊主(さいほうゐん あかほうず)

両虎 力を諍う

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こちらも北斎の「鬼児嶋彌太郎と西法院赤坊主」。こちらは橦木ではなく大きな梵鐘を取り合っています。

「浮世絵標準画集 第10巻 (北斎)」国立国会図書館デジタルコレクションより

 

西法院赤坊主というのは妖怪なんですってね。上杉謙信ゆかりのお寺の鐘を盗んだのは悪い妖怪赤坊主。その退治を謙信は家臣の鬼児嶋彌太郎に命じました。彌太郎は死闘の末に見事鐘を取り返したのだとか。