絵本和漢誉・26 山中鹿之助
山中鹿之助さん!誰⁉
「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA
山中鹿之助(やまなかしかのすけ)
山中鹿之助幸盛忿戦
酔中に筆下す
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尼子氏の家臣で、山陰の麒麟児と呼ばれた豪傑。
・・・ここで気になる右隅の「酔中に筆下す」の添え書き。
ああ、北斎はお酒飲みながら描いたのね、ちょっと不満の残る出来だったのかな?酔って描いたなら仕方ないわね。この絵のどこが不満だったのかしら。
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この「酔って描いたんだもん。なんかおかしくても大目に見てね」的な添え書きに関して、飯島虚心(1841~1901)という人が「葛飾北斎伝 下巻(1893)」で書いたものがとても面白かったです。
飯島さんは北斎が高収入だったにも関わらず、住まいも衣服もいたって質素な暮らしの中で一生を終えたことから、きっと北斎は相当な酒豪だったのだろうと思っていました。画料はみんなお酒に変わっちゃったのに違いないと。実際そういう文人は多かったので。
そこで虚心は確認のため周囲の知人に北斎が大酒飲みだったか聞くと、
みんな口を揃えて「彼は下戸だよ」「お菓子が好きなんだよ」と言います。
虚心はさらに手あたり次第北斎のことをよく知っているひとたちに
聞いてまわるも、全員「北斎は下戸」と断言。
「北斎は酒を飲む」説もあったけれど、虚心が調べたら事実無根なことが判明しました。けれども北斎が挿絵を描いた「水滸伝」の中に「酔中筆」の添えられたものがあったりして、どうも飲むのか飲まないのかはっきりしません。
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そんな時に浅草で浮世絵会が開かれました。百点あまりの錦絵が並んだ中に、
北斎が遊女を描いた絵があり、そこに「北斎酔中筆」の文字が。
その席に、以前「北斎は下戸」と言った知人の一人、清水晴風さんがいました。
虚心は彼に向かい、「この絵に酔中筆って書いてある。北斎が酒を飲まないならこんなの書くわけないだろう」
清水「そうじゃないよ」
虚心「じゃあ飲まなかったという証拠を出せ」
清水「証拠は出せないけど北斎は飲まなかったのっ」
こんな不毛な口論をしてたんでしょうね。
そこへ浮世絵師の落合芳幾(おちあいよしいく)さんが間に入ってくれました。
落合さんは北斎が酒を飲まなかったことをよくご存じでした。
そして「酔中筆」と書いてあるのは上手く描けなかったことへの「遁辞」(言い逃れ、
逃げ口上)だよ、絵描きが時々やる洒落なんだよ、と説明してくれました。
ここで落合さんは「絵本武蔵鐙」での一枚の絵を引き合いに出します。
その絵がこちら。
「画本武蔵鐙」より 国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA
右下に
「酔中筆して曰 紙中の尺寸限りありて形自在ならず
馬上と歩立の風情は横に広からんものを立て(縦)にす
余は押してしるべし」との添え書き。
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以下に落合さんの説明を抜粋します。
”謙信のきりこみたる太刀を、信玄左手に軍配を持ち、逆にうけとむるのさま
甚だ拙し、しかして信玄の右手は、一刀を引き抜かんありさまなれど、
これまた甚だ拙し、北斎も自拙しとおもひれば、此に副書して
「酔中筆して曰く、 紙中尺寸限あり、形自在ならず、
馬上と歩行との風情は、横に広からんものを立にす、餘は押してしるべし」と、
これすなわち酔中の字をかりて、拙を覆ひたるものなり、実に酔中とか言はざれば
人に示されぬ画なり、・・・”
「酔ってました」と言わなければ人に見せられない絵です、とズバッと言ってます。浮世絵会に並んでた遊女の絵(北斎酔中筆との添書き有)に関しても「所有者がいることろで言いにくいけれど、実にまずい絵です」ときっぱり。
落合さんはもと浮世絵師。その道の達人による「北斎は下戸」との証言に、虚心も納得し、傍で聞いてた清水さんもなんとなく嬉しそうだったそうです。
しかしさらなる証拠集め(なぜそこまで)を進めていた虚心ですが、以外にも手元にあった「北斎漫画 第11篇」の序文で柳亭種彦さんが北斎のことを「酒を嗜す 茶を好す 五十年来画三昧」と紹介していました。
北斎は酒を嗜まず、茶を好まず、絵を描き続けて五十年。北斎と非常に親交の深かった種彦の言葉に、ようやく得心した虚心でした。
北斎はお酒飲まない、高級なお茶も飲まない、煙草の煙も嫌い、蚊取り線香も嫌い、大福餅は大好き、金銭感覚ゼロ・・・などいろんなエピソードも書かれていました。
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