コツコツ古典

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和漢廿四孝 (柳下亭種員 撰)・7 波自采女

夫に先立たれたものの、変わらず義理の両親に孝を尽くした波自采女さん。

早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より
波自采女(はじのうねめ)

称徳天皇の御宇 対馬の国上縣郡の人なり 不幸にして夫に早く別れけるに 姿賎しからねば ここかしこより縁しを求むれども 再び嫁せず 明け暮れ父母に仕へて 孝を尽くしぬ 二親みまがりて墓のほとりに庵を結び ここに すま居し 生きたる人に 仕ゆるがごとし その沙汰都にきこへ 貢をゆるされ 世に名をひろめさせたまひしとぞ

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采女さんは続日本紀に登場する人でした。「神護景雲二年(768)」の記事に登場。奈良時代の人ですね。

国立国会図書館デジタルコレクションより

続日本紀より:対馬上県郡人高橋連波自米女、夫亡之後、誓不改志、
其父尋亦死、結廬墓側、毎日斎食、孝義之至、有感行路、表其門閭、復租終身

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夫に先立たれたあと、再婚しないで舅姑の世話をした人。税金まで免除。でも、そもそも美人じゃなかったら再婚しなくても話題にはならないだろうし、続日本紀にも載らなかったんだろうなあ。続日本紀には「美人だった」とは一言も書いてないけどね。こういう話の場合は美人じゃないと盛り上がらないのね。