コツコツ古典

間違いがあったらコメント下さい。

英雄図会(葛飾戴斗1825年)・3 坂上田村丸

平安前期の武将坂上田村丸。

ARC古典籍ポータルデータベースより

坂上田村丸(さかのうへたむらまろ)
坂上田村丸は後漢霊帝の後孫 刈田丸か子なり 身長七尺五寸胸の厚さ一尺九寸
鷹眼金髭にして身を重くするときは三百一斤 軽くすれば六十四斤ありといふ
桓武天皇延暦十年奥羽に夷賊 発(をこり)しを田村丸に勅して討(うた)しむ
武勇他に勝れ威有て猛からず 智徳兼備にして仁心厚く神仏を敬し洛東清水寺を建立し
給ふ 奥州の賊髙丸を討 悪路王を生どり嵯峨帝の御位争ひに藤原仲成
誅伐し延暦大同の間武功天下にかくれなく位従二位東征大将軍に任ず
寿五十四歳にて率す 山城の国宇治郡栗栖野に葬す 後 勢州鈴鹿山の絶頂にまつる
また摂州平野郷にも社ありとぞ

ーーー

謡曲「田村」は田村さんという苗字の人かと思えば田村麻呂(田村丸)さんのお話でした。田村麻呂の戦のときに、清水寺の千手観音が千本の手から矢を放って助勢したという有難いお話ですね。

清水寺の千手観音さまは手が42本。以前東京国立博物館葛井寺の千手観音が展示された際に見に行きましたが、真数千手観音という本当に千本の手を持つ観音さまを間近で見ることができて感激しました。