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英雄図会(葛飾戴斗1825年)・5 橘遠保と藤原忠文

今回は武将がお二人ですね。右側が橘遠保、左が藤原忠文

ARC古典籍ポータルデータベースより

橘遠保藤原忠文(たちばなのとをやす)と(ふぢはらのただふん)
遠保は井手の左大臣橘諸兄公の十一代少将経氏が子なり 従六位上美濃介と号す
朱雀院の朝に仕ふ 天慶年中伊予国の守護たりしが 純友反逆の時九州に下り
不日に純友を亡しければ 帝御感の余り菊花を画し天盃を賜り 依て菊水を
家旗の紋とす 是楠家の祖なり


参議右衛門督忠文は承平の将門の射手として関東に下りしに路中にて将門亡ぬと聞
都に帰りまた純友西海に逆威を企し時 征西大将軍として進発せられしに 是も
中途にて純友亡たりと聞 引返す 両度ともに功なしといへども 発向の勢に聞おぢして平治したれは全く忠文も功あれは恩賞有べしと沙汰せられしに関白実頼公
許容なかりしゆへ忠文憤怒して実頼の子孫を恨み死したり 其霊威恐ろしかりしかば
宇治の離宮に祭りしとぞ

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橘遠保は官軍に追われて潜伏中の純友を捕まえて討ち取った警固使。褒美に天皇から菊の描かれた盃を賜りました。一族の誉れ高い英雄ですね。

 

さて一方二人目の参議右衛門督忠文。将門討伐に向かったものの、現場に着く前に将門は討たれてしまったので都に引き返しました。次に瀬戸内海へ純友を討ちに向かいますが、これもまた途中で純友はほかの人に倒されていました。

忠  文「特に軍功はありませんが僕にもご褒美ください」

関白実頼「ダメ」

忠  文「キー!」

忠文は怒って実頼を深く恨んで、その子孫にまで祟ったそうです(子孫は災難)。菊の盃を貰えた人と貰えなかった人が見開きで並んでいるわけですね。

忠文の祟りを鎮めるために建てられたのが宇治市の末多武利神社(またふりじんじゃ・祭神藤原忠文)だそうです。