コツコツ古典

間違いがあったらコメント下さい。

英雄図会(葛飾戴斗1825年)・6 多田満仲

多田満仲さん。挿絵の右下に書かれた名前のルビは「ただのまんちう」、一方文中では「みつなか」。「ただのまんじゅう」のほうが馴染みありますね。大男が両脇に男性二人を抱えて逃げていくのを満中が追う場面でしょうか。

ARC古典籍ポータルデータベースより

多田満仲(ただのまんちう)

六孫王経基公の御嫡正四位下佐馬頭満仲公 天徳の役に
京都の強盗を誅し
安和二年西宮左府高明 冷泉院を押下(をしおろ)し
為平親王を位に着(つけ)んと謀反す
満仲公即時に高明を太宰の帥に左遷す 時に源の繁延逆心有 
満仲公また繁延及千晴父子を生捕て拷問し 反逆まぎれなきに
よつてことごとく罪に行ひ 洛中平治し其外西海の武功数度なり
嫡子頼光公をはじめ数多の子息皆以武勇の誉あり 
後剃髪して満慶入道と号す

ーーー

内容は満仲が強盗を退治した話、安和の変において左大臣高明・橘繁延・藤原千晴を失脚させた件、その後の活躍など書かれています。

強盗が京都の満仲の家に押し入って、満仲に捕らえられた話は扶桑略記に記載されています(10日付、青カッコ内)。赤で囲んだのが強盗3人の人物です。

図書データベース 書誌ID 200004536  国文研

足元に転がる冠と烏帽子。左が「垂纓冠」、右は「舟形侍烏帽子」というそうです。二人のおぼっちゃまたちが身に着けていたものですね。

 

古事談第四、「勇士」の部の第一話目にもこのエピソードが載っています。

「天徳四年五月十日夜、強盗、武蔵権守源満仲の宅に入る。爰こに満仲、類人倉橋弘重を射留む。弘重は、中務卿親王第二男(親繁王)、及び宮内丞中臣良村、土佐権守繁基の男等の所為と指し申す」以下略。

ということでこの3人組のメンバーは、

・中心のごつい大男が満仲に射留められた倉橋弘重。

・一人が中務親王式明親王)の次男で、醍醐天皇の皇孫でもある親繁王(首謀者)。

・もう一人が源蕃基(の息子?)、こちらは清和天皇の皇孫。

話を読み進めると、

・さらに「紀近輔」というワル仲間がいて、親繁王や蕃基と一緒に中務親王の家に集まっているとの噂。

・親繁王の親である中務親王は、息子が捕まりそうになると「息子はお腹壊してるから、治ったら出頭させる」と言って、結局そのままかくまった。

・のちに捕まった紀近輔の話では「強盗の首謀者は親繁王。満仲の家から盗んだものは彼が持っている」とのこと。

・「息子(親繁王)を出頭させないなら親に罪を科そう。親繁王が外出したら捕らえよう」という命令が出たところで話は終わってしまいました。親繁王は捕まったのかどうかわからず仕舞い。

多田満仲家の強盗事件、この絵を見てパッと内容がわかるくらい有名な話だったんでしょうね。身分の高いおぼっちゃまたちがなぜ押し込み強盗などしたんでしょう。