英雄図会(葛飾戴斗1825年)・8 山姥金時
山姥と金太郎。親子だったのね。
ARC古典籍ポータルデータベースより
山姥金時(やまうばきんとき)
金時は伝へいふ相模国足柄の山中に霊婦あり 山姥と称ず 産所の児を快童丸といふ
成長(ひととなり)て後渡辺綱が見出しにて摂津守頼光に仕へて酒田主馬丞公時と称し英臣四天王の列に賞せられ武勇怪力万夫当の雄士なり 就中悪誅賊鬼を退治し
功成名遂て身を足柄麓雲に隠しその(経ゆ)く時をしらず 実に奇神異仙
又たぐひなかりき
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金太郎がヤマンバを退治する話かと思ったら全く違いました。山姥は母親でした。しかもこの絵を見るになかなか器量良し。さて父親は誰なんでしょう。
金太郎とクマが相撲を取ってるところでしょうか。マサカリは邪魔だと思うの。山姥は扇を広げて息子の応援してるんですね。もしくは行司役?
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歌川芳虎(江戸時代末期~明治時代中期)の描いた「坂田金時」。
The British Museum 「前太平記之内 坂田金時」歌川芳虎
禁裡北面の武士坂田蔵人時行といふ者の子なり その妻懐胎の時
夫に別れ相州足柄の山林に隠れ一子を生て養育すといへり 源義光関東下向の刻
一日足柄山に游猟し給ふ折 とある澗蔭より歳十四五才ばかりなる大童の惣身紅色を
帯て肥太りたるが赤裸にて顕出 戯れ遊に巌を起し樹を仆す
怪力いふばかりなかりしかば 頼光乃ち渡辺綱をしてその母の姥を尋ね召来し
素生姓名を問せらる その姥答へてこの児いまだ八才にて則坂田何某が子なり
名はかかるゑせものなれば只怪童と呼よしを申す
その時頼光 爾らばこの児を我に与へよ 行々天晴なるものに
取立侍させんとあるに姥喜びて言受けなし 其身は山中止らんことを
願ひて従はず 斯くて頼光は怪童を召連かへりて やがて四天王の一人に
加られて功績莫大なりければ 竟(ついに)禁庭より主馬佑になさる
因て坂田主馬佑金時と名のれり 頼光卒し給ひし折 金時足柄山にかへるなり
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金太郎のお父さんは北面の武士ですか。それなら子どもながらの怪力も納得です。果たして遺伝子的に本当の父親だったのかどうかはよくわかりませんが。お母さんはどうして妊娠中に山の中に行って一人で出産したんでしょうか。立派な武士の奥方が山姥になった理由は書かれていませんね。よほど山の生活が居心地よかったのか・・・。
武士の息子として都で暮らしていても、足柄の山中で暮らしていても、どちらの道でも金太郎は立派な武士になるべく生まれついていたのでしょうね。
坂田金時は、今昔物語集の中の話では「牛車で乗り物酔いした武士3人の一人」でしたね。3人で牛車に乗ってパレード見に行ったら牛車が揺れに揺れて全員派手に乗り物酔いして、一息ついたらパレードはとっくに通り過ぎてた・・・みたいな話でしたね(かなり前に読んだのでうろ覚えですが)。一騎当千の兵たちが乾燥機の中の洗濯物のようにグルングルンされて悲鳴を上げている様子が浮かんで、気の毒でもあり微笑ましくもありました。牛車って揺れるイメージがあまりないんですけど、結構飛ばしたんですかね。
↓春に大雄山最乗寺に行ったとき、大雄山駅で撮影した金太郎。駅舎の隣にありました。