コツコツ古典

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英雄図会(葛飾戴斗1825年)・13 八郎御曹子為朝

源為朝。少年時代から暴れん坊。

ARC古典籍ポータルデータベースより

八郎御曹子為朝(八郎おんそうしためとも)
六条判官為義の八男鎮西八郎と称す 背長七尺五寸無双の弓取強弓の勢兵なり
保元の乱に父の為義に随ひ新院の御味方として敗軍し捕となりて伊豆の
大嶋に流され近辺の嶋々を押領する故狩野介持光これを攻る 為朝一箭に
持光が舟を射破り勝利を得る為朝の矢根今に伝て鑓とするものありとぞ
強弓なること以てしるべし

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二人がかりで弓の弦を引っ張っていますがびくともしない様子。「五人張り」で有名な為朝の強弓。5人張りとは4人がかりで弓を曲げ、一人が弦をかけるほどの強い弓のこと(軽い弓は一人で弓を曲げて弦を張れるそうです)。こんな弓を使いこなす怪力の武者に射られたくはないですね。

 

下の絵は「椿説弓張月曲亭馬琴)後編巻之二 第十九回」より。関西方面から流され、新天地を目指して八丈島近くまで来ていた疱瘡の神。でも為朝を見て恐れをなし許しを乞い、「島に上陸しませんので」と約束しました。左下の小さいお爺さんが疱瘡の神さま。

早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より 「椿説弓張月」 画:葛飾北斎

椿説弓張月」の記述では「米俵の蓋に 赤き幣を建てて 身の丈僅かに一尺四五寸もあらんとおぼしき いとからびたる翁」と説明されていますが、その通りの挿絵ですね。※からぶ・・・乾いて水気がなくなる

左手にがっしと強弓を掴む為朝。疱瘡神も逃げ出す迫力。