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英雄図会(葛飾戴斗1825年)・12 清盛入道浄海

平清盛。出家して「入道浄海」になりました。

ARC古典籍ポータルデータベースより

清盛入道浄海(きよもり入道じやうかい)
平相国大政大臣清盛入道浄海は平忠盛の嫡子なり 実は白川院の落胤なるよし
保元の戦功によりて安芸守に任じ曽て厳島に弁財天を造立しけるが其夜
夢見らく社の宝殿より童子壱人出て この剱をもて朝家を守護すべし 神告有と
見て夢さめしが側に銀の蛭巻したる小長刀有ける これ正しく弁財天の賜もの
なりとて拝受し忠勤を励みければ官位次第に昇進し一門繁昌栄耀歓楽心の侭なり
ければ 僑(驕?)奢の限をつくし終に氏族を西海の波濤に流し年来の仁徳を
一時に滅し養和元年閏二月奇病に終る 嗚呼天の命いかんともなしがたし

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手すりの向こうは海。清盛入道がいるのは厳島神社なのかしら。

平家物語第五「物怪の事」では怪異なお話が綴られています。清盛がまだ安芸守だったころ、厳島神社を参拝した折に、厳島大明神から小長刀を賜った夢を見たら、目が覚めると枕元にその刀が立っていたという。朝家を守護していたときはその刀は手元にあったのに、清盛がやがて勅命に背くふるまいをするようになったら、刀はある夜突然消えてしまったとのこと。

その頃ある若い侍が見た夢。宗教者会議のような場所で、八幡大菩薩が「厳島大明神(平家守護)に預けていた守り刀を没収して源頼朝にあげることにしよう」と言うと、春日大明神が「そのあとはうちの子孫(藤原氏)にもちょうだいね」と話し合いが行われ、厳島大明神は議場から追い出されていった。

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平家物語第六「入道逝去の事」では清盛いよいよ最後のとき「最後に仰りたいことは」と聞かれ「頼朝の首を取って私の墓の前に架けよ」と答えた清盛。出家した人間の言葉とは思えない、執念を感じますね。