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絵本故事談 巻之五・14 源義経

記事の文章が他の人と比べて一段と長い義経。昔から人気あったんでしょうね。

早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より」

源義経(みなもとのよしつね)
源の義経小字(をさなく・幼名)は牛若と号す 
世(よよ)武の将種(武将の血をひく者)なり
平治の乱に父義朝 平の清盛と戦て敗死す 一族おほく誅に伏す 
義経いまだ襁褓を脱せす 母常盤殊色有 清盛取て妾とす故を以て
免ることを得 やや長(ひとと)なりて 鞍馬山東光坊に 投して学を受
衆 薙染(ちせん・出家すること)をすすむ 敢て聞す
常に復讐の志をいたく(抱く)
異人に僧正か谷にあひて 夜ことに兵法撃剱の術を習ひ 
ことことくに秘蘊(奥義)を得て其軽捷 飛かことし

世俗にくらま天狗といひ あるひは僧正坊と名付ゑかくものこれなり
又牛若五条の橋にて千人切といふことをせられし時 弁慶行向て
其剱術をかんし 君臣の約をなせりとて ゑかきて橋弁慶といふ
其餘 義経の行跡 さかろ 弓なかし くまさか あたかの関なと 
たまたまありて図するにいとまあらす

十六歳にて潜に くらまを出 足をあらし 路を越て 奥州に至り
秀衡か舘に赴て 其志を告るに秀衡よく是にかなふ 
治承四年に兄頼朝 豆州に勃興あることを聞て 奥州を立て西の方に出
頼朝に駿州黄瀬川に謁す 頼朝大に悦て 命して将軍とし大兵を率して
平氏を攻む時に 平家十万の兵をしたがへて一の谷の要害にたてこもる
義経後の山より險をおかして其思ひよらざるを撃(うつ)(さかおとしとて図するもの是なり)
平氏みだれさわきて拒戦事あたはす 大に破る 
宗盛 安徳幼帝を供奉し逃て海西に奔り 又讃州八嶋を保つ 
義経追討使の宣旨を賜て 猝(にはか)に八嶋を襲ふ 
平軍其大兵ならんことを懼て海上に逃去 
其後志度壇の浦 所々の会戦に打勝て帰る 
頼朝梶原か讒を信じて鎌倉に入る事を許さす空く京に帰る時に
東より討手の大軍来ると聞て鎮西に赴く 
大物浦 俄頃(にわか)に迅風起て舟飄蕩す 幸に免て吉野山に匿
貌を変して北陸道を経て舟奥州秀衡が舘に赴く 
文治年中終に泰衡か為に弑せらる 年二十七

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こちらは橋弁慶の絵ですね。

 

そしてこちらは一の谷の合戦、鵯越の逆落としの図。

橋弁慶、逆櫓、弓流し、鵯越安宅の関義経は絵になる人ですねー。