コツコツ古典

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絵本故事談 巻之五・24 源仲綱

源頼政の子、仲綱と平宗盛のいがみあい。仲綱の愛馬、「木の下(このした)」を宗盛がほしがったことが発端。文章長いです。前頁の清盛より、ずーっと長いです。

早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より

源仲綱(みなもとのなかつな)
仲綱は源光禄頼政か子なり 仕へて伊豆守に補す 家に駿馬を養ふ
仲綱これを愛し名を木下(このした)といふ 平の宗盛これを得まく欲し
人をしてこれを請しむ 仲綱與んことを欲せす 言を託て答ていはく
頃日馳駆する事 頻にて馬蹄はなはだ倦(うめ)り故に これを辺邑に
遣して其疲労を休置たりと 宗盛其詐て言を倦(うみ)疲に 託することを
聞て頻にこれを請しむ 父頼政 仲綱に謂いはく 何ぞ一馬を愛(をしま)ん
此におゐて仲綱和歌一首を詠じて是を六波羅の舘に送らる 
宗盛是をみていはく馬は駿逸なり 然とも仲綱か惜める事 甚憎へきなりと
乃鐵を火に焼き馬の背に焼印して仲綱と書して是を厩につながせたり
仲綱これを聞て大に怒り頼政も又ふかく是を衘(ふく)む
遂に平家を討んことをはかり高倉の宮に勧む事あらはれて 頼政 宮を
供奉し近州三井寺にしたがふ 
頼政か臣に渡辺の競といふ者あり 尚其家に留る 
宗盛これを召て問ていはく 汝なんそれぞ頼政が行に随はさる 
答ていはく 主我に此ことをしらしめす故に留ると
宗盛いはく 汝吾に附んや 頼政に従んや 
競かいはく 何為(なんすれそ)朝敵の人に従ん 且吾か不臣を疑ふて
是を知らしめす 只願くは公に仕へて夙夜心を竭(つく)し身を
君に致さん 宗盛大に是を嘉し 終日座に侍り 日暮に及て宗盛に謂ていはく
願くは一の良馬を賜へ 吾行て頼政を討ん 宗盛すなはち厩を守る者に命じて
良馬を賜ふ 其名を煖廷(なんれう・・・平家物語巻四より)といふ
競乃(すなはち)これに乗て馳て三井寺に至り これを仲綱に献ず
仲綱悦甚しく 鉄を焼 平宗盛の字を書 馬の背に印し是を六波羅に放つ 
宗盛大に怒り 競己を売るといへり

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父の頼政に説得されて泣く泣く木の下を宗盛に渡したとき、仲綱が馬に添えて届けた歌。

恋しくば 来ても見よかし 身に添ふる かげをばいかが 放ちやるべき

自分の影のように離れがたい存在を手放す口惜しさ、悲しさを宗盛に伝えました。

ところが宗盛は仲綱の気持ちを汲んで馬を大切にするどころか、木の下に「仲綱」という焼き印を押して邪険に扱い、人に見せる始末。これには仲綱も頼政も平家に対する敵意が燃え上がります。

その後頼政の侍・競(きほふ)が知恵を巡らし、宗盛側の名馬を手に入れてきたので、仲綱はその馬の尻尾を切り、「宗盛入道」の焼き印を押して平家側に返してやったという。

挿絵は馬に焼き印を押すシーン。お坊さんがいるから仲綱のいる三井寺のほうでしょうね。馬が可哀そう。