コツコツ古典

間違いがあったらコメント下さい。

金縹題名将手鑑 上之巻・4 田原又太郎(足利又太郎)

橋合戦で先陣を切った田原又太郎。最初に平清盛の話から始まって、次に源頼政の鵺退治の話。頼政の人気に清盛が嫉妬する一方、頼政は驕る平家を不愉快に思い、やがて戦へと発展し、最後にようやく又太郎の活躍シーン。文章詰め込み過ぎのような気が。

国立国会図書館デジタルコレクションより

ここに近衛の院の仁平久寿年中にあたつて桓武天皇の後胤平忠盛卿の嫡子
太宰大弐清盛 実は鳥羽の院の御胤にて 祇園女御の腹に出で来たるとなん聞こゆ
その生まれ立ち 雄威 衆に秀で官位次第に上り一門広く 
後鳥羽(鳥羽?)の院 清盛を引き給ふにより 源氏の輩を見下して
清盛我儘のふるまひ多かりけれども 鳥羽の院の思し召し篤きによつて 
誰あつて拒むものなし 

その頃源氏の正統たる源三位頼政は仁平三年近衛の院御悩甚だしく
紫宸殿に黒雲起こりて その内に化鳥の声あり その化鳥鳴くときは
院の御悩強しとなん
此事詮議ありて先例に任せ蟇目故実を取り行ふべしとて すなはち
頼政に命ぜられて此役を務めつつ 頼政つひに化鳥を射て落とし郎党猪早太
これを刺し殺せしが その化鳥は鵺といふもののよし 
その頃この噂高く 頼政の弓勢の評判もつぱら道路に満ち満ちたり

清盛これらを心よからず思ひて 事に寄せて頼政を亡ぼさんずと
心中に忘るるひまはなかりけり されば思ひ内にあれば 色ほかに
表れて 頼政もまたこれを悟り清盛を平らげんと思ふおりから
日にまして平家はますます盛んになれば頼政やがて高倉の宮の綸旨を得て
大きによろこび 我歳は七十に及び かかる大義を思ひたちしも
諸国の源氏一統に旗揚げさせんためなりとて 叶わぬ合戦と知りながら
わづかの勢を集め 勢田を取り切り 宇治川の岸に陣を張りて平家と
一合戦して討死せんと企てたり 清盛早くも此事を聞きて子息重盛(???)に
数千騎を添へて 頼政討手の大将とす これによつて平家の大軍
時日を移さず討つて出で 宇治川の岸に押し寄せしが
音に聞こえし急流にのまれ 左右なく渡さんと云ふ者なかりし所
下野の国の住人足利の別当 田原の又太郎俊綱といふ者 鎧冑花やかに着流し
長刀を小脇にかひこみ 立板を片手に取つて ただ一騎馬乗り出し 名に負ふ
宇治川の渦巻く水に乗り入れて向かふへさつと渡すほどに これに士気を得し
味方の人々 われもわれもと乗り入れて 向かふの岸に押し渡り 
ただ一戦に打ち勝つて 頼政仲綱父子討死し 戦は早く収まりけり 
これ全く俊綱が先陣の功によれり

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宇治橋合戦の平家の大将が清盛の嫡男・重盛になってますが、重盛は橋合戦の前年に亡くなっているはず。

・田原の又太郎俊綱となっていますが、俊綱は父親の名前で、忠綱が正しいようです。

 

さて、角川ソフィア文庫の「平家物語」や図書刊行会の長門本を読んでも「長刀を小脇にかひこみ 立板を片手に取つて」という場面は出てこない・・・。どこから立て板が出てきたんだろう。細かいことを気にすると進まないので深く考えるのは止め~。