コツコツ古典

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絵本故事談 巻之五・3 源頼政

平等院・扇の芝で散った頼政。武芸にも和歌にも堪能だったのに。

早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より

源頼政(みなもとのよりまさ)
頼政は源の頼光に五代兵庫頭仲正の子なり 射を善(よく)す
近衛帝の御宇に禁裏におゐて闇中に化鳥を射て其名大に顕る
又曽て和歌を好み禁庭の守護たりし時も昇殿をゆるされさるを述懐して

「人しれぬ 大内山の山守は こかくれてのみ 月を見るかな」と詠じたり
叡感ありて正四位下に叙せらる 猶足ずとして
「のほるへき 便なき身は 木のもとに しゐをひろひて 世を渡るかな」
此より遂に三位になれり 其後保元平治の乱に甚忠戦あり
治承年中に平氏を亡さんと謀る事ならすして 平等院に自殺す時年七十五
一説に七十七と云り

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挿絵は鵺を退治して帝から名刀を賜った場面ですね。「平家物語巻四 鵺の事」より。

主上御感の餘りに、獅子王と申す御剣を下さる。宇治の左大臣殿これを賜り次いで、

 頼政に賜ばんとて、御前の階を半ばかり下りさせ給ふをりふし、頃は卯月十日あまり

 の事なれば、雲井に郭公、二声三声おとづれて通りければ、左大臣殿、

    ほととぎす 名をも雲井にあぐるかな

 と仰せられかけたりければ、頼政、右の膝をつき、左の袖をひろげて、

 月をすこし傍目にかけつつ、

    弓はり月のいるにまかせて

 と仕り、御剣を賜りてまかり出づ。」

剣を渡そうとする左大臣頼長の立ち位置、折しも空を横切る郭公(ほととぎす)、頼政の手つきなど、上の文章を忠実に再現してくれてますね。