コツコツ古典

間違いがあったらコメント下さい。

英雄図会(葛飾戴斗1825年)・14 悪源太義平

源義朝の長男、義平。頼朝のお兄さん。現代人には、「悪」の字のイメージで損してそうな感じの人。悪源太って誰?よくわからないけれどきっと悪いことした人ね、って思っちゃう。

「悪」という言葉、接頭語としては「荒々しく猛々しい」という意味だそうです。

ARC古典籍ポータルデータベースより

悪源太義平(あくげんたよしひら)
頼朝公の兄義平十五才にして叔父帯刀先生義賢を討て悪源太といふ
平治の乱に僅十七騎にて待賢門に重盛か五百余騎と戦 突戦して平家の
陣をやぶり重盛も既にあやふかりしに家臣与三左衛門景安力戦して
重盛を走らす 義平おもうままたたかひ六波羅へおしよせし処
ことならずして敗軍しひそかに清盛をねらひしかど討得ず
近江にかくれ終に生どりとなり殺さる その霊雷となりてうらみを
はらしけるとぞかたり伝ふ

ーーー

平治の乱の際、待賢門にて義平は大将の平重盛を討ち取る寸前まで行きましたが、重盛の家臣・与三左衛門景安らに防がれて、重盛を討つことはかないませんでした。(平治物語 巻中 待賢門の軍)

義平はわずか十七騎で500人越えの敵と戦いました。重盛も義平も嫡男同士。武家の嫡男って功名を立てる重圧すごそう。

 

しかしその後敵側が勝利し、義平は捕らえられました。六条河原で難波三郎経房によって誅せられる際、「いつか雷となってお前を殺す」と予言。その予言の通り、経房が布引の滝を見物していた際、落雷によって経房は命を落とします。(平治物語 下巻 清盛出家の事 並びに瀧詣 附たり悪源太雷と成る事)

 

月岡芳年『新形三十六怪撰 布引滝悪源太義平霊討難波次郎』,佐々木豊吉,明治22. 国立国会図書館デジタルコレクション より

この絵のタイトルでは悪源太が敵を討ったのは「難波次郎」になっています(難波兄弟は太郎経友・二郎経遠・三郎経房)が、細かいことは気にしないようにします。