コツコツ古典

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和漢廿四孝 (柳下亭種員 撰)・11 大江挙周

大江挙周(たかちか)さん。母親は百人一首の女流歌人赤染衛門。ぱっと見、扇を広げてなんだかお目出たい感じかと思ったら全然違いました。親子で代わる代わる病気になったときのお話でした。

早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より

大江挙周(おおえのたかちか)
大江匡衡が子 母は赤染衛門なり 挙周病ひあやうきとき 母思ひにたへかね 住吉へ詣で 我が子の命ちにかはらんと祈り

かはらんと 祈る命は おしからで さてもわかれん ことのかなしき
と詠じて奉りければ 挙周がやまひ たちまち 癒え 其母煩ふこと甚だし 挙周 このよしを聞き 大いに驚き 急ぎ住吉に社参して 再びわが命をたち 母を助けたまへと 身をこらして祈りければ 神明憐みたまふにこそ 母子とも つつがなきことを得たりけれ

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息子の挙周が重い病気にかかったとき、「身代わりになりたいと祈る自分の命は惜しくないけれど、願いがかなって自分が死んだとき、子に会えなくなることが悲しい」という意味の歌を母の衛門が住吉明神に奉納したところ、挙周の病気は快復。

でもその代わり赤染衛門が病気になってしまいました。挙周は驚いて急いで住吉明神に詣で、自分の命に代えて母を救ってほしい、と必死に祈ったら、今度は母子ともに健康になりました。

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挙周の頭上にあるのは子供が揚げてる凧かと思ったのですが、これは住吉の浦に浮かぶ帆掛け舟でした。扇の向こうには住吉大社の鳥居と太鼓橋もちゃんと描かれてますね。

 

こちらは「浪花百景之内 住よし反橋」

浪花百景之内 住よしの反橋  (長谷川定信)
当社海内の勝地 絶景なるは往古より歌の名どころににして世人のよく知るところ
なれば今さら腐毫にいふべくもあらじ 就中反橋はその工(たく)み 稀代にして
他の社頭にある比(たぐ)ひにあらず 大華表(おおとりい)前は和泉紀州路の
往還にして往来たへず常に松風颯々として神慮とともに涼しく実に海内無双の神地
といふべし

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鳥居は一番上に左右に渡す笠木の両端が若干上に反る明神鳥居ですね。