コツコツ古典

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金縹題名将手鑑 上之巻・2 脇屋義助

新田義貞の弟、脇屋義助。敵を槍で一突きの図ですね。

国立国会図書館デジタルコレクションより

(ここの絵解き)

新田左中将義貞公の舎弟 脇屋右衛門佐義助は御兄義貞と共に
後醍醐天皇の綸旨を受け 鎌倉の執権北条高時一家を亡ぼさんとて
上野の国より義兵を挙げ 源氏恩顧の郎党を従へ 日ならず相模の国
鎌倉に赴き 入道高時が舘へ押し寄する その威勢広大にして北条
麾下の者ども 途中に支へて戦へども あるひは城を攻め落とされ
ゆうゐ(雄威?)に砕かれ降人に出づるもの数知れず 
新田勢 鎌倉中に充満して北条方いかにともすべきやうなく
今はかうよとみへたりける

ここに又脇屋義助は武勇ぜつろん(武勇絶倫?) 弓矢取つては
義貞公にも劣り給はず
智謀衆に秀でしが このとき郎党どもに打むかひ 北条一家多年の悪逆
募りて源氏の鬱懐を晴らす事 今日の戦の勝敗によれり
各々の働きにあらずんば鎌倉に新田の美名は上げ難し
我兄にかはり一働きして高時が法師首を取り 今日軍門にさらさん事
またたくうちなり 我に続きて功名を立てよ者どもと云ふままに
馬を蹴立てて馳向かふ

その勢ひに郎党ら いかでおくれじ続けやと 我も我もと大将に
引たてられて味方の大勢どつとおめいて 北条が乱れたつたる
陣中へおめき叫んで駆け入れば 何かはもつてたまるべき
右往左往に逃げ走る

ことにもつて義助は 自ら味方の真つ先駆けて槍をひねつて突き入り給ふ 
その勢ひの鋭き事 虎の深山を出づるが如く 
この槍先にあたるもの 只一突きに二人三人命を落とさぬはなかりしかば 
鎌倉勢はたちどころにことごとく滅び失せて高時はじめ 
北条の一家一門自害して鎌倉は早く平らぎけり 

時に光厳院の正慶二年の事なりけり
これひとへに義貞の大功なりといへども 義助又大智大勇にして
よくそのいくさを助けたる功にありとなんきこゆ

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群馬県太田市太田駅前には新田義貞脇屋義助銅像があるんですね。今度行ったら写真撮って来ましょう。名字の由来となった脇屋という場所もあるそうなので、金山城生品神社などと合わせて回ってきたいです。