コツコツ古典

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金縹題名将手鑑 下之巻・21 武蔵坊弁慶

弁慶は敵の矢を全身に受け、それでも倒れることなく仁王立ちのまま息を引き取っていました。有名な弁慶の立往生ですね。この絵は弁慶の壮絶な最期・・・と思いきや、弁慶が自分に似せて作った人形でした。

国立国会図書館デジタルコレクションより

ここに武蔵坊弁慶は音に聞こへし荒法師にて七つ道具とて いかめしき
指物を背に指し並べ烏帽子型の冑に黒革縅の鎧を着し大長刀を水車に
回し 黒み渡りて 陣取つたる泰衡が数千の中へ馬乗り入れ 当たるを幸ひ
薙ぎたて薙ぎたて 思ふ存分駆け悩まして早く城中へ引入れたり 
この日義経公は秀衡よりかねて与へおかれし秘書を開き見給へば
思ひがけなき(なき)これ蕃国へわたるべき地の図にてありければ
義経公は大きに喜び ひそかに弁慶らの宗徒の郎党らへ語りて
明日夕暮れに華々しく一合戦して 搦手なる抜け穴より忍び出でひそかに
蝦夷地へ渡らんと すでにその日になりければ年格好似たればとて
杉目の十郎といふ者を義経の身代はりとし 城に火をかけ 討死して義経主従
このときに亡びし体に見せかけたり 又弁慶は藁人形をひそかに作り夜に入て
城門の橋の上に立たせ己が太刀 物の具を人形にぞ着せたりける 寄せ手の者は
夜中といひ これを真の弁慶を心得 かねて彼が武勇に恐れ近づく者
一人もなく只遠矢に駆けさんざんに射れ共射れ共ことともせず立たるままに
たふれねば軍兵どもは弁慶が立往生をしたりと云ひあへり

夜明けてよりよくよく見れば藁人形にてありしかば皆々驚き呆れたり
さるほどに義経は此所を逃れ去り つひに蝦夷地をきり従へ ぎぐるみ大王と
仰がれ給ひしとぞ 
さて又衣川落城ののち 泰衡兄弟は鎌倉より恩賞の沙汰はなく かへつて
頼朝大軍を率し奥州へ攻め下つて泰衡一族は亡ぼされぬ 時に文治五年の事なりとぞ

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夜、城門の橋の上に弁慶そっくりな藁人形を立てたところ、敵は本物の弁慶だと思い、彼の強さを知っているので近寄ってこない。遠くから矢でさんざんに射るけれど弁慶は仁王立ちのまま。立ったまま死んだんだと思って夜明けに確認したところ、弁慶ではなく藁人形でした~。すでに義経蝦夷へ行ってしまいましたとさ。

義経記」では義経は自害、弁慶も討死したことになっています。でも義経のようなヒーローは、死んだと見せかけて上手く敵をすり抜けて別天地で活躍してくれたら、と期待する気持ちはわかりますね。