コツコツ古典

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金縹題名将手鑑 下之巻・22 源為朝 (完)

大トリは御曹司為朝。

国立国会図書館デジタルコレクションより

源為朝
鎮西八郎源為朝は六条判官為義の八男義朝の弟なり 近衛の院の久寿元年筑紫にて
生まれし故 鎮西八郎と号す 日本無双万夫不当の豪傑 ことに弓勢に優れし事
世の人の知るところなり かつて肥後の国にいませし時に 阿蘇が岳に登り
思はず道に踏み迷ひて深山に入 大きに疲れ とある岩根に腰打ち掛け 安らひ給ふ
そのところへ さも凄まじき異形のもの その丈一丈余もあらんが 為朝を見て
からからと笑ふことしきりなり 御曹司は短慮剛毅の若大将なれは たちまち
腰刀を抜いて切りつけ給へば かの獣は大きに怒り 為朝をひつ掴まんとて
飛び掛かる その勢ひ山鳴り震動してすさまじく 切れども突けども その獣は
あたかも黒鉄を打つ如く いささかも身に傷つかねば 為朝も怒り猛りて
首の番を狙ひさまに ゑいや はつしと斬り給へば 切り所や良かりけん
その首飛んで 高嶺を落つる滝を隔てし向かひの岩に がつきとばかり
噛みつきたり
この噂を聞き 人集まりて 獣を恐れ 為朝の武勇に舌を震ひて
賞嘆せぬはなかりけり くだんの獣は劫経し猴にて ひひといふものなりとぞ
かくて保元の頃 父為義と共に崇徳の院の御味方して 為朝比類なき軍功ありしが
遂に平家の囚はれとなり 伊豆の大島へ流されしといふ
又ある説には 八丈島より鬼界が島へ渡り鬼族を平らげ 鬼童を率て島々を
切り従へ給ひしといふ
さればにや 今に島々に社を立て 島の神と号せる事 神社考 又 南畝文集
といふ書物に見へたり
〇ふたたびいふ 八郎大明神と書きて 角(かど)へ貼り また為朝の画像を敬ひ
祀れば痘瘡(もがさ)の神寄り付かず 厄神恐れて来たらずといふ

ここにこの君の武徳を挙げていささか子供衆の記憶の為に春の初めの伽草子とす
めでたしめでたし

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林羅山の「本朝神社考」巻五より「為朝祠」の項。

国立国会図書館デジタルコレクションより

「諸島 今に到りて 社を立ててこれを祭る 嶋の神という」って書いてありますねー。

太田南畝のほうは「琉球年代記」という本に周防国の古郡八郎さんという人が船旅をしていたところ嵐に合い遭難し、たどりついた漁村で為朝を祀った社があった、という話が載ってました。

ーーー 金縹題名将手鑑 終 ーーー