英雄図会(葛飾戴斗1825年)・20 源太景季
梶原景季。背中に梅の枝が見えます。
ARC古典籍ポータルデータベースより
源太景季(げんたかげすへ)
景季は村岡五郎忠通の六代の孫梶原平三景時の長子にて平氏の氏族たりと
いへども 父景時頼朝公に仕へて出頭たりしゆへ 景季源の字を拝領して
源太左衛門尉と唱ふ 勇猛優美文武両道の達人にて 和歌をよくす
生田森の二度の魁には梅花をさして高名あり 世人花胡箙(はなえびら)の
大将と賞す
宇治川の波濤には高綱とともに誉れを残せし勇士なりしが
父の景時心よからぬ佞者にて頼朝公他界ののち鎌倉を追放せられし砌
父にしたがひ駿河の国清美が関にて討死す 行年三十九才なり
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(本朝英雄鑑 国立国会図書館デジタルコレクションより)
梶原源太景季は生田の森にさきがけせしが 餘に強く戦ひて
矢種ものこらず射尽くしければ梅の枝を箙に盛り 又敵中に入り
世に二度の魁とて大に勇武を顕はせり
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先日、謡をたしなむ知人と談笑中、「箙(えびら)」の話題になりました。私は「箙」は誰が主人公だったか思い出せなくて、でも調べもしないでそのままでしたが、本日答えがわかりました。箙に梅を挿して戦いに向かったのは源太景季さんでした。
上の挿絵では景季の背中の箙(=胡籙やなぐい)の形が見えないですね。
平胡籙(ひらやなぐい) 壺胡籙(つぼやなぐい)
田中治兵衛 編『有職故実必携装束図式』国立国会図書館デジタルコレクション より
景季が梅の枝を挿したのは壺胡籙のほうかしらね。