コツコツ古典

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金縹題名将手鑑 上之巻・10 今井四郎兼平

木曽義仲に最後まで従った、今井四郎兼平。身体に矢を何本も受けながら、敵をバッタバッタと倒していきます。

国立国会図書館デジタルコレクションより

元暦元年の正月 木曽義仲悪逆募りしかば 頼朝へ追討の院宣を給ふ
されば頼朝の代官として範頼義経両旗にて 宇治瀬田より攻め寄する由
木曽殿聞し召して 宗徒の郎党を遣はして宇治瀬田にて防がしむるに
木曽方敗軍し都へ逃げ帰る ほどもなく義経続いて追ひ来たり 京中に
鎌倉勢満ち満ちたり 義仲はさんざんに打ちなされ 近江路さして落ち給ふに
鎌倉勢後を追ふ事しきりなり 此時木曽四天王の随一武勇抜群なる
今井の四郎仲原の兼平 その身志度の決戦に鎧に立つ矢は蓑毛の如く
深手浅手数か所負ひても なを怯まずして 鎌倉勢を右に靡け左に払ひ
大太刀を打ち振り打ち振り 人びやく打たする憤激 突然その太刀風に
一命を失ふ者数知れず
かかる所に端なくも大将義仲にめぐり合ひ 敗軍を打歎きて 疾く落ち給へと
すすめしかば 義仲は馬に鞭あて 一散に落ち行き給ふに 
運のきはめか深田の中へ馬乗り入れし その折から 石田為久が放つ矢に 
あへなく討たれ給ひけり
此時も兼平は自ら義仲と名乗りつつ 乱軍に駆け入り戦ふ所に
大将討たれ給ひぬと聞きて 早やこれまでとや思ひけん 大太刀の
切先を口に咥へ 貫きながら馬より逆しまに落ちて死んだりける
その名はなほも朽ちずして 印の石を近江なる粟津が原にぞ残しける

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ちょうど今井四郎の振り上げた刀の切先の上に「人びやくうたする」と書かれています。

「人びやくうたする」ってナーニ???と悩みましたが、ネットで「人びゃく」を検索したところ、歴史地震研究会という団体さんの会誌「歴史地震」の記事がヒットしました。

〇歴史地震第36号より

P248 山梨県東部・相模川流域の土砂災害と「びゃく」の地名との関連

P276 南関東の土砂災害地名「びゃく」とその語源について

上記記事を拝読したところ、

・『びゃく』という用語は明治・昭和の頃まで南房総で広く使われていた

・『南総里見八犬伝』に、「人びゃく打ちて」の表現があり、・・・

などの記載がありました。

 

また「土木情報サービス いさぼうネット」のコラム62『南関東の「びゃく」という地名の由来について』の中には、

・「びゃく」とは豪雨のため、山麓から地下水が噴出し、土砂、立木、岩石などを交えて押し流す山津波などのことです。

と書かれています。

 

今井兼平は押し寄せる敵の波を蹴散らしていった、という意味合いでしょうね。