和漢廿四孝(柳下亭種員撰・房種画)・4 樵夫喜十郎
中国の曽参に似ているけれど日本人の喜十郎さん。
「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より
樵夫喜十郎(きこりきじふらう)
備中の国和気郡総江(さうこう)村の者なり 父ははやく世を去り 母につかへて孝心深くその妻 母に仕ふることおろそかなりとて 子供三人までありしを離別なし再びかへさず日ごと山に入 柴を刈りこれを代(しろ)なして いと貧しく母を養ふ かつて父が忌日にあたれば柴を刈り取り 旦那寺の門に持ち行き ひそかにさし置てかへる 住僧それと悟り 一礼をいふにわれは知らじと答へける かくすること毎度なり そのほか 善根を尽くすこと国主にきこへ 多くの褒美を玉はりける
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離婚しても養育費払ってくれなさそう。
ちなみにこちらが中国の曽参。
同じ本の後半、中国の二十四孝のメンバーに入ってます。喜十郎と曽参の絵を描くときに、この絵師さんはモデルに薪担がせて杖を持たせて和風と中華風、着替えさせてデッサンしたんだろうか。喜十郎の衣装はこれね、笠かぶってね~、曽参のときは左足上げてね~とか。